森本千絵さん
2012年はじまる!
2012年。
このブログを始めてからもう6年(たぶん)がたつ。
ツイッターやミクシー、FBなど。。
いろいろなソーシャルメディアが生まれて、とりあえず試してみる自分。
でもなかなか本当の言葉を記せるメディアはないですね。
ブログは数十年後の息子たちに向けたメディアとして記すことにします。
昨年は震災が起こり、人生観が大きく変わる1年でした。
人と人、人と企業。
いろいろな関係性を見直すことを神様に強いられるようでした。
今まで人との関係を何となく使い分けていた自分。
そんなことに気を揉むことが何とばかばかしいことか。ようやく気づきました。
出会った人とは素直に関わっていく。そうしないとせっかくの人生もったいないですね。
今年は表面上は今までと変わらないように見えて、内面では劇的に変化させていきます。
数十年後の息子たちに胸を張れるように。
夏が終わり…
4か月半ぶりの更新。
震災後の混乱の中、春が訪れ、梅雨に入り、そしていつもの暑い夏が来て、そして夏が終わった。
仕事で出会った素晴らしい方々、この期間にどれだけ多くの人と出会っただろう。
単なる名刺交換ではなく、お互いを強く認識し、おそらく長く関わり続けるであろう人たち。
今までもいろんな出会いがあったが、今回は学生から70代までと幅広いのが特徴かな。
ハードだけではなくソフト。
誰もが使うこの言葉の意味の本質をとらえ、そして実行できた充実した期間だったと思う。
20代後半から、5年をひとつのタームと考え、自分なりの判断をし、行動してきた。
40歳で転職し、45歳になるまであと1年半。
方向は確実に見えた。
さあ、また動こうか!
なんだろう?
この時代に起こったことを受け止めながら生きていく準備はできた。
自分の今やるべきことは見えている。
迷いなく1日、1週間、1か月は過ごせていけるだろう。
…でも、1年後が見えない。
充実した一日の連続が1年であることなど理解しているつもりだが、やはり見えない。
着実にやるべきことをこなす時間を過ごしながら、心の真ん中に確実に存在する空虚感。
原発が引き起こしている罪。
それをこれまで何とも思わなかった自分。
このこととどう向き合うのか、向き合うべきなのか?
批判だけしていればいい立場と割り切ることなど到底できず、
1年後自分はどう思っているのだろうか・・・。
ブログ・ツイッター・FB
久しぶりのブログ更新。
日々の気づきや何となくの思いをツイッターでつぶやき、
面白いネタがあればFBで知人と共有。
…とするとブログには何を???
FBは本名、ツイッターも仕事関係の知人との連絡手段となれば、日々の思いを表現する、記録する場としてこのブログは存在していくのだろう。
震災があり、この1年はいまだかつてない変化がおこる1年となるはず。
何年後かにこのブログを見直したとき、その時の自分はどう思うのか?
なぜもっと動かない!行動しない!
と、その時の自分に思われないようしたいと思う。
また、遠い将来息子たちにもこのブログを見られることを意識して…。
元旦??
社会人には2度の元旦がある。
正月と、そして4月1日。。
最初「しがついっぴ」と聞いて、
「いっぴ???」
と耳を疑い先輩に聞き返したことも今は遠い昔の話。。
3月11日の震災後、かつてないほど沈み込んでいたここ数週間。
毎年恒例の会社での年度キックオフミーティングですっかりやる気を取り戻しました。
人間は単純。
ちょっとしたことで落ち込み、やる気をなくす。
が、
その反対でちょっとしたことで前向きになれ、やる気があふれてくる。
もういいかげんに自分でコントロールできるようになればいいのだけれど、想定外のことが起こるとまだまだ対応できないようで…。
より高く、より速く、より前で、背筋を伸ばして生きていきたい!
どんな時代になろうとも。
東日本大震災!
3月11日(金) 14:30過ぎ、
午前中の外出を終え、帰社したのが14:00ごろ、自分宛てのメールの処理をこなしている最中に、そのゆれは始まった。
246に接してして、地下には銀座線が走るその上に立つこのビルは普段からもよく揺れている。しかし、今回のものは明らかに地震の揺れであり、しかもいつもより強く、長く揺れ続けた。
様子がおかしいと思った瞬間、できることもなくただ机の下に隠れ揺れが収まるのを待った。
机の上のものが散乱。書棚の本なども一部飛び出したようだ。
女性社員の悲鳴も混じり、緊迫感は一層高まる。
その後余震の状況を見ながら階段にて避難。階段室に入ったクラックは、地震の強さなのか…、建物の構造上の欠陥なのか…。
近所の美竹公園には近隣オフィスからの避難者が集結。我々の一団もそこに加わり、動向を見守る。
その後、特に状況変化もないためか解散の命令が下る。
電車は動いていない。復旧の見込みもない。家族との連絡もとれない中では心配でしょうがないのでとりあえずどこかで自転車を買っての帰宅を試みる。
まず西武(無印)はダメ、丸井もダメ、青山の専門店でかなり真剣に検討するも組み立てに2時間かかるといわれ断念。後から思うと2時間待っても買っておけばよかったと少し後悔。
もう完全にあきらめ、徒歩での帰宅を決意。時間は17:00過ぎ。246を通り、まずは赤坂へ!今後の食糧不足も想定し、早々に弁当&カップを食す。会社で過ごすことを決めた人たちがかなりの食糧のまとめ買いを開始しているようだ。
一番込み合ったのは皇居周辺。いつもはランナーであふれる歩道が帰宅難民であふれる。そこを抜け、御茶ノ水方面へ!
歩行用のシューズを買い求める女性たちでスポーツ店が活気づく。それを横目に見ながら、まずは隅田川と思い歩くも、これがなかなか着かない。車や自転車の距離感とはやはり違うようだ。
隅田川は逆流する海水で、不気味な渦を巻いている。この辺から歩く人は明らかに千葉方面居住の人たち。何か親近感がわいてくるも先はまだまだ長い。
歩く途中、常に携帯ラジオを聴きながら、そしてツイッターで随時情報収集。知り合いが元気づけてくれるツイートを寄せてくれるのがありがたい。
妻にもやらせておけばと後悔する。この時点では、実家を中継して家族全員の安全は確認できていたが、今後の災害時の通信手段としてツイッターは有効に働くことに違いない。
この後がつらかった。
当然ながら足が痛い。家が気になるのでろくに休憩も取らず革靴で歩き続けるのがこんなにつらいものとは…。
錦糸町をこえ、新小岩をこえ、小岩をこえ、
市川橋についたときにはフルマラソンを始めて完走した時にも近い感覚がわきおこる。
…そして帰宅。
いつもとなんら変わりない室内に拍子抜けするも、皆の元気な姿にやはりほっとする。
テレビをつけると津波の甚大な被害が目に飛び込む。
今回の地震は今後の日本をどう変えていくのだろうか。
子供たちには不安を取り除きながら、なおかつこの状況を注視させていくよう心掛けていきたい。
※とりあえず、記録
よりどころ
ときおり読み返したくなるこの本!
5年前くらいに大規模マンションの企画(主にランドスケープ)を考えているときに、強烈に突き刺さった言葉。
[抜粋]
あらゆる部分:
あらゆる部分を計画せよ。あらゆる部分をデザインせよ。
偶然に出来ていそうなスタイル、なにげない風情、自然発生的な見かけも、計算しつくされたデザインの結果である。
なぜ、いまこの本を読み返したくなったのか?なぜ、この言葉を今また考えるのか?
何かのシグナルなのだろう!
ブログ?ツイッター?フェイスブック?
先週よりフェイスブックをはじめる。
ずいぶん前にアカウントはもっていたのだが、よくわからず放置していた。
っていっても今も変わらずわからないのだが、何か人と人とのつながり方の距離感が微妙に違う気がして面白い。
別にどれが正しいとか、どれが一番とかではなく。
つながり方の方法が少し違うだけ。
バーチャルなつながりが多様化すればするほどリアルなつながりが意味を成してくる。
そんな「場」をいかにつくれるか!
楽しい時代になりました。